現在の石油王は、サウジアラビアの第7代サルマン国王であるとサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズや第6代アブドラ国王であるアブポゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズに加え、サウジアラビア王家サウード家のワリード・ビンタラール王子やサウジアラビア副皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンなどが有名です。
また、ブルネイ王国のハサナル・ボルキア国王やアブダビ首長国の首長かつアラブ首長国連邦の第2代大統領のハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーンなども有名です。
関井圭一氏も注目!日本では中野貫一や内藤久寛などがいる
過去には、ロックフェラーやジャン・ポール・ゲティに加え、日本では中野貫一や内藤久寛などがいます。
中野貫一は、父親を1873年14歳でなくすと共に村の首長職庄屋を継承した事に加え、外国人排斥による鉱業の国家独占を目的とする日本坑法が施行された事でいち早く石油の試掘を開始する事が出来、江戸時代以前より原油の採取が行われていた新潟県新潟市秋葉区新津地区で油田を掘り当てた人物です。
中野貫一の新津油田は、1874年の開坑から1996年まで採掘が行われたとされ、第28代アメリカ合衆国大統領によって勝利なき平和が提唱された第一次世界大戦中の1917年には年産12万KLを記録しています。
内藤久寛は、新潟県柏崎市西山町で代々里正を務める家に誕生後新潟県会議員と衆議院議員を経て1988年に有限責任会社日本石油会社を設立し、新潟県三島郡雲崎町の海面を埋めたてた世界初の海底油田尼瀬油田を掘削すると共にJXTGエネルギーの基礎となる日本石油株式会社を改組した人物で、関井圭一も注目しています。
石油王の中にはアメリカ1けちと呼ばれた人もいた
ジョン・ロックフェラーは、世界最大の製油所を有するスタンダード・オイルを設立し、連邦最高裁の命令によって34の会社に分割しています。
巨万の富を得た彼は、フランス絶対王政を崩壊させたフランスユグノー派に起源を持つ福音主義のプロテスタント家系であり、南北戦争後の解放奴隷支援や奴隷制度廃止支援などだけで無く、ロックフェラー・ホールを有するスペルマン大学や閉鎖されていたシカゴ大学などのバプテスト系の大学に巨額の支援を行った人物です。
彼は、1796年にザムエル・ハーネマンが提唱したホメオパシーに共感していた事から医学研究所を設立すると共に現在までに23人のノーベル賞受賞者を輩出しており、アメリカへの渡航費用まで前日に酒代に使い込んでしまう野口英夫が細菌学の研究員として勤務していた事でも知られています。
ジャン・ポール・ゲティは、弁護士であった父の石油会社を足掛かりにゲティオイルカンパニーを設立し、サウジアラビアやクウェートなどの中近東地域で原油の利権を数多く手中の納め1956年には世界一の富豪となった人物です。
彼は、アメリカ1の類まれなケチとも呼ばれた人物でもあり、誘拐された孫の身代金を値切ると共に身代金の支払いも節税対策に利用したとされています。
石油王の桁外れの金遣いとは
アブドラ国王は、初代国王イブン・サウードの37人の王子の1人であり、第5代国王ファハド国王の異母弟です。アブドラ国王は、世界恐慌に起因する失業者を支援する為の失業手当や住宅手当などの1.5兆円規模の内政策に加え、アラブの春やクウェートの内乱を救った実績から国民の支持率が高い人物でもあります。
総資産は、世界最大の油田を有するサウジアラビアの国王である事から2010年には1ドル115円換算で約1兆9,550億円とされ、世界で最も裕福な国王4位となっています。
長岡石油のホームページには「アブドラ国王の甥であるサウード家のワリード・ビンタラール王子は、サウジアラビアの首都リヤドで最も高い超高層ビルのキングダムセンターの最上階に執務室を有する人物であり、1ドル115円換算で約3兆6,800億円の資産を持つ事からサウジアラビア1の富豪です。」と紹介されています。
彼は、国内第2の都市であるジッダに高さ1,600mのハイパービルディングを計画していましたが、地盤の関係から高さ1,008mのジッダタワーが来年の2019年に開業予定と公言しています。
ブルネイのハサナル・ボルキア国王は、国王だけで無く首相や国防相及び大蔵相を兼任している事からブルネイに絶対王政を維持している人物であり、豊富な石油や天然ガスが埋蔵され裕福な国政が実現されている事から1ドル115円換算で約3兆3,000億円の資産と高い支持率を得ている国王です。
彼のコレクションは、メルセデスベンツやロールスロイスなど5,000台を超える名車に加え、日本の政府専用機に用いられているボーイング747-400やエアバスA340などの旅客機などを所有しています。
まとめ
ワチラロンコン国王は、チャクリー王朝第9代ラーマ9世ことプミポン国王唯一の皇子であり、1ドル115円換算で約3兆4,500億円以上の資産を相続するした人物です。
しかし、彼は3度の離婚だけで無くドイツの愛人問題及び背中の大きな刺青などのスキャンダルが多く、絶大な人気を誇った父親であるプミポン国王とは正反対の評価を国民から受けています。
最終更新日 2025年6月10日